|
優勝の記録
|
| 「一度だけの優勝は真のチャンピオンではない。二連覇した時こそ、真のチャンピオンとしての価値がある。」
|
|
1971年、第三回全日本空手道選手権で優勝した佐藤勝昭は、第四回、第五回大会の激闘の末、1974年の第六回大会で優勝、翌年の世界大会でも優勝、二連覇を成し遂げた。
これは、著書「王道の空手」から抜粋した佐藤勝昭の大会語録である。
|
|
|
1970年第二回全日本大会後 |
|
|
「私は初陣であり、自分がどこまでやれるか試してみる気持ちが強かった。だが、本当にそれでよかったのであろうか。武道は真剣勝負である。真剣勝負であるならば、親善試合のような気持ちではダメで、勝負に対する執着心がなくてはならない。この執着心をもって闘ってこそ、はしめて『人事を尽くした』ことになるのではないか。」 |
|
1971年第三回全日本大会優勝 |
|
「私の勝利が宣せられても、しばし私は呆然としていた。自分でも信じられないほどの前蹴りである。この前蹴りは私の長い空手人生の中でも最高のもの、と今でも思っている。これは自分の力ではない、なにか神様が自分の体に乗り移っているにの違いないと、その時、本当にそう感じた。」 |
|
1972年第四回全日本大会 |
|
| 「ショックだった。前回の優勝者が今年は入賞もできない。『やはり、昨年の優勝はマグレだったのだ』という声が、私の耳に入ってくるような気がした。実際にはそんなことはないのだが、惧れていたことが現実となって、すべてのことに引け目を感じていたのである。」 |
|
1973年第五回全日本大会四位 |
|
|
「試合開始早々、私は飛び二段蹴りで奇襲した。これが虚をつかれたかたちの相手選手の顎をガツンととらえた。一瞬がくっときた相手選手、目を白黒させて呆然と突っ立っている。これには私の方が驚いた。
『先輩、大丈夫ですか』と、つい声をかけ、試合を中断してしまったのである。」
「二段蹴りが決まったあの時、なぜみずから試合を中断してしまったのか。勝負師として徹するならば、いかに尊敬する相手だろうと、チャンスとみれば徹底して非情に攻め抜くのが本当であろう。」
「 たしかに、非情に徹しないことのほうがアマチュアスポーツでは美談として伝えられることがある。しかし、友好を目的とするにあらざる勝負の世界においては、こんな甘い精神は通用しない。」
|
|
1974年第六回全日本大会優勝 |
|
|
「『谷深ければ山高し』という言葉がある。私は、第三回全日本大会の優勝という山が高かった分、第四回大会の敗北による挫折は大きかった。自分では再起不能とまで思った。しかし、深い谷間を覗いたからこそ、第六回大会の優勝は嬉しかった。」
「抜群の実力がありながら怪我に泣いた人、互角に闘いながら運命の女神に逃げ去られた人など、猛稽古を積んだにもかかわらず、武運つたなく敗れ去った人の怨念や希望が優勝カップにはしみついている。私もまた過去に、絶望的になったり、そこに希望を見いだしたりしたことがある。そして、傷だらけになってみてはじめて、優勝の持つ深い意味がわかるような気がした。」
|
|
世界大会に向けて |
|
|
「チャンピオンになると、すべての選手にとって私が目標となる。私の長所、短所を徹底的に研究し、長所を殺し、短所を突いてくるからだ。大会に出場する選手は、私にとっては抽象的な意味ではなく、すべてが敵だった。チャンピオンは、獲得するよりも維持することのほうが難しい。」
「どんな相手だろうと対戦するのがチャンピオンの宿命である。正面から堂々と相手の挑戦を受け、これを退けることが要求される。そのためには、質量ともに、チャレンジャーを上回る稽古が必要とされる。言葉で言えば簡単であるが、実際にはなみたいていのことではない。」
|
|
1975年第一回世界大会優勝 |
|
|
「旗があがる前、私は、自分は全力を尽くした、持てるものをすべて出し切った、という満足感で一杯だった。その時は、勝敗ということをまったく離れた心境だった。
相手選手を見ると、彼も淡々とした表情だった。どちらともなく歩み寄って握手した。やはり勝敗を超越し、全力を尽くして決勝戦にふさわしい試合をしたという満足感があった。」
|
|
若い人々へのメッセージ |
|
|
「優勝することに喜びや悲しみ、つらさ、苦しみ、楽しみといった人間のもつすべての要素が盛り込まれている。技術的、精神的により高いものを求めるなら、どんな大会でもよいからそこで優勝することである。もっとも、その次に来る反動が生やさしいものではないことを、覚悟しておく必要がある。
」
|
|
|
若者よ、二連覇せよ!
|
| |